“1945年8月6日”
-人類史上初の原子爆弾が広島上空で炸裂した日-

『ヒロシマをのこす 平和記念資料館をつくった人・長岡省吾』(佐藤 真澄/著・汐文社・2018)は、広島平和記念資料館(原爆資料館) 初代館長・長岡省吾氏の歩みを描いた一冊です。

長岡氏は、当時広島文理科大学に勤める地質学者でした。

8月6日午前8時15分。
長岡氏は、爆心地から約70km離れた海辺で地質調査を行っていました。
連日の調査で疲労がたまり、旅館で休んでいたところに突如として爆音が響き渡ります。
そして、巨大な「きのこ雲」が広島上空を覆いつくしました。
雲の下では、熱線と爆風によって多数の尊い命が奪われ、広島の街は一瞬にして焼け野原と化し、地獄のような光景が広がっていました。
長岡氏は原爆の爪痕を調査するため、広島市内へ足を踏み入れます。

泣き叫ぶ人々、行き場を失った人々、そして亡くなった人々の姿や、建物の損傷状況を克明に記録し、原爆の熱線を受けた石や瓦などの資料を集め続けました。
その描写は非常に生々しく、まるで読者自身がその場に立ち会っているかのような臨場感があります。
そして物語は、地質学者としての長岡氏の信念と執念を描く展開へと進んでいきます。

「原爆によってもたらされた残酷きわまりない惨状を世界の人々に知らせなければならない」

その強い使命感から調査を続けますが、当初は周囲から理解されず「あの人はおかしくなった」と冷たい目を向けられることもありました。
それでも活動を続けていく内に協力者も増え、後の「原爆資料保存会」へとつながる「長岡後援会」を発足させました。


月日が経つにつれ、広島市民の間でも「原爆の被害を後世に伝えるべきではないか」という声が高まっていきます。
1947年には、当時の広島市長の協力により、長岡氏は広島市の嘱託職員となり。後の資料館の拠点となる施設が与えられました。
物語後半では、長岡氏を中心に広島が「平和都市ヒロシマ」として歩み始めるまでの険しい道のりが描かれています。
1955年、悲願であった広島平和記念資料館が開館し、長岡氏は初代館長に就任します。

《資料館の展示は、原爆で亡くなった人たちの魂の叫びを伝えるため》

その信念のもと、資料館の管理運営に尽力しましたが、6年半後の1962年に健康上の理由により退任しました。
調査活動の中で受けた残留放射線の影響もあったといわれ、1973年にその生涯に幕を閉じました。

毎年、8月6日が近づくと、テレビや新聞、インターネット、SNSなどで「原爆」に関する話題を目にする機会が増えます。
今年で終戦から81年。
世代は巡り、戦争や原爆は多くの人にとって実感しにくい出来事になりつつある今だからこそ、広島平和記念資料館の存在には大きな意味があります。

原爆について書かれた本や映像は数多くありますが、実際に被爆資料や当時の記録に触れ、その惨状を肌で感じられる場所は決して多くありません。
資料館には日本人やアメリカ人をはじめ、世界中から多くの人が訪れ、それぞれが平和について思いを巡らせます。

資料館の入館者数は、2024年度に開館以来初めての200万人を突破し、その後も過去最多を更新しています。

日本では終戦以来81年間、一度も戦争は起きていません。
しかし、世界各地で戦争や紛争が今なお行われ、平和の尊さが改めて見つめ直されています。
そうした時代だからこそ、広島を訪れ、被爆の実相を知ろうとする人が増えているのかもしれません。

本書は、一人の地質学者が「事実を後世へ残す」という信念を貫き、広島平和記念資料館の礎を築くまでの歩みを描いた一冊です。
現地を訪れることが難しい方も、この本を通じて長岡省吾氏の歩みを知り、平和について考えるきっかけとしていただければ幸いです。

2026年
10月10日(土)
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